ホッと一息ミルクティー

日常の疑問とその日のアウトプット

退職してから1年が経ちました

 

ふと。

一年前の今日は海外に着いた頃だなって思った。

 

海外の話書くとかいうて全然書けてないことにも気付いた。

今では気が向いたら書こうかなとか、むしろもう一回行こうかなとか、そんなこと考えてる。

 

 

最近また忙しくなってきた。

愛媛の祖母が鬱病になったり、愛知の祖父が命に関わるほど体調を崩したり。

 

前者は退院できて良かった。

今私は後者の件で愛知へ向かっている。

 

 

もちろん、今働いている職場には迷惑をかけてしまうし、今回も休みを入れ替えてもらって取れた連休なんだけど、前の仕事なら無理だった。

 

祖母の件は夏の出来事だった。

あの時もすぐにかけつけ、考え、のちに3週間の休みを取った。

 

私が行ったから元気になったんだなんておこがましい考えはないけれど、私が行った事で良くなった要素はあるはずだから、本当に行ってよかった。

 

前職だったらと考えると今となっては恐ろしい。

大好きな祖母が大変な時にすぐに会いに行けない。

いや、行こうと思ったら行けるのだ。行かない選択肢をしているのは私。

その状況を作ってるのは私。

 

だから、今会いに行ける状況を作っている自分が大好きだ。

私が私でいれることが居心地が良い。

 

 

祖母のときの話も実はブログに書いてるのだけれど、まだアップする気になれず、あたためてる。

特に意図があるわけではないけれど。

 

 

 

 

一年前を振り返って自分を比べると、私は去年の私は好きになれない。

細かくいうと、辞めたと決める前の私。

 

自分を大事に出来ないと他人も大事に出来ない。

その意味がようやくわかる。

 

だから自分を大事にするっていう事が意味を履き違えているのね。

何事も自分を優先して良いとは違う事なのに。

 

なんていうんだろうな。

人のことをしっかり見れるようになる。

だから助かることも出来るし、気にかけることも出来る。

 

自分を大事にしていなかったら、そんな余裕は生まれない。

 

 

これが大事にするってことなんだろう。

余裕が出来るから人を大事に出来る目が向けられる。差し伸べられる。

 

去年の私には到底無理。

自分のことで精一杯。そのくせ、他にもやってる人はいる頑張ってる人はいる自分なんてまだまだなんて。

それこそワガママだし自分に対する暴力だ。

 

他の人と比べる必要なんてないのに。

私は私の人生を生きているのだから、私の「頑張る」の限界は比べるものでもなのに。

 

あの時の自分は自分自身がまだまだ頑張れてないって思ってた。反面、精神的にも身体的にも限界を感じていた。

 

今振り返ると、十分私は頑張っていた。

頑張りすぎていた。

今すぐ過去の私に優しくしてあげたい。

もう今の私は戻っても頑張れないし頑張る気もないし、戻る気もない。

 

どうやって休んでいたんだろう。

身体は休日に休めていたのかもしれないけれど、精神的に休んだことはあったのだろうか。

 

昔のことを考えてもキリがないからそんなに考えないけれど、やっぱり私は頑張っていた。

 

 

でも、今の私が頑張れてないかっていうとそれは違う。

そもそもあまり頑張る感覚がないのだ。

楽しくて。

あるとしたら、新しい商品の前後。あとは土日とかの激混み時やクローズやオープンの体力。

 

最近初めたPRライター職の〆切までの追い込み。

それすらも、楽しい。

 

休みの日に休めることも幸せ。

仕事のことを考えなくて良い。

何も気にせずアニメ観れるゲームできる本が読める料理ができる。

 

なんて幸せなんだろう。

 

機会があればもう少し心境の変化をつらつら書きたいところもあるけれど、去年について今話したくなったから書いた。

 

去年脱サラして海外に行った私は、一年たっても後悔はなく、むしろその選択をしたことで、とても自分を大事に出来ているし、幸せだ。

 

それを伝えたくて、書きました。

 

 

 

 

これからも自由にブログは書き続けるので、これからもよろしくお願いします。