生きてるだけでありがたい、は本当は勝手な願いかもしれない?
愛知の祖父が、入院することになった。
「もしかしたら今年いっぱいかもしれない」
そう祖母から電話があり、急いで会いに行った。
大丈夫、大丈夫。
そう願いながら行ったし、会った時もそう思った
やせ細っていて、会話もまともに出来なかったけど、顔色は元気そうだった。
本人がもう死ぬと思っているけれど、下痢が治れば治るのだ。
末期でもない。
だから、すぐ退院できるように陽気に話した。
でも退院できても歩けない、支えが必要になる。
祖母はもう諦めている。
祖父は何故か祖母のことが私に伝わるくらい大好きだから、きっと、辛いと思う。
生きてることが迷惑かけてるって思ってるかもしれない。
でも祖母は、もう死んだ後のことを考えてる。
もちろん祖父のことが好きだ。
祖母としては、そんな辛い状態の祖父を見ていられないのだ。
早く楽にしてあげたいって思っているのかもしれない。長く付き添っていた2人にしかわからない関係だから私にはわからないけれど。
長く生きてほしいと思う私の考えはとても勝手なのかもしれないとふと思った。
長く生きても大変な思いをするのは祖母だ。
一緒に仲良く過ごせることが幸せなんだって私は思っているけれど、体力的にも精神的にも祖母も限界に近いのかもしれない。
そして、私はそれを支える覚悟もない。
引っ越す訳でもない、お金を出す訳でもない。
家にいても祖母には出来ないことをヘルパーさんを雇ったらできる話でも、そんなお金を出してあげれない。
祖母だってこれから生きていかなきゃいけない。
生きてほしい。
これはエゴかもしれない。
どうしようも出来ない。出来るけど、それをする覚悟が私にはない。
自分勝手だなって思うけれど、私には父親がいないようなものなので、きっとそれもあって、自分の人生をかけて行動までは出来ないのだ。
祖母の選択にかけるしかない。
そして、その選択に私が口を出すべきではない。
そう思って、会うことしか話すことしかできないまま、「またそのうち行くね」としか声かけられなかった。
ああ、なんて自分はちっぽけなんだろう。
考えさせられた帰省でした。